| 「はやし」は、祭りを高潮させるためのことばや音楽である。 神々ははやされることにより出現され、悪霊ははやされて退散すると信じられていた。 (茨城の神事 茨城県神社庁編集・茨城新聞社発行より) 当地区をはじめ茨城県西猿島地方には「囃子(はやし)」の数は多い。しかしこれらが いつごろ始まったものかははっきりとしていない。 一説には稲敷郡桜村阿波の大杉神社の大杉囃子がその起源であると説く人はいる。 確かに大杉神社は水陸交通の守護神であり、利根川流域の舟運交通に従事していた 人々にとり大杉神社参拝は欠かせないことであった。参拝の度に聞き憶えた曲がこれらの 地域にもたらされても不思議ではない。「囃子(はやし)」の曲は各地で同じか、同じ傾向の ものが多い。かつてこの地方いたる所でこの「囃子(はやし)」が演奏されていたと考えられる。 しかし、このはやしは紛れもなく「信仰とくらし」の中で伝えられ、人々の神への感謝の中で 伝承されてきたものである (さしまの民俗 木塚治雄氏著作より) 当地区に伝えられてきているおはやしは、毎年七月八坂神社祭礼において、柳橋・葛生 両地区の神輿渡御に際して、山車を引き回し演奏されるものであり、悪病撤退・五穀豊穣を 祈願するものである。 かつて、「大杉はやし」と称されていたものであることを考えると、前途の大杉神社のはやしが 起源であるとも言えるが、古文書等の文献は皆無であり、その歴史については古老による口承 や、各囃子会等における資料に頼るほかにないが、それも十分には整理されていない。 |
| 旧暦の六月一日「雨ごい神事」は、稲作への水の恵みを祈願する神事である。群馬県板倉町 「雷電神社」まで選ばれた氏子が参拝し水を賜り、帰社するまでの間、信心通りの太鼓を千遍返 しといわれる程打ち続け、お迎えした御神水を、東西南北に祭った際、祈願成就としておはやし を行ったことが古老から伝えられており、現在のはやし会の始まりとも云われている。 その曲は「愛宕社の太鼓」 「香取社の太鼓」として伝承されており、それぞれ次のことばにおき かえられ、大太鼓と締太鼓により演奏される。 「愛宕社信心とおり太鼓」 キミヨ ダイズルダッタ ハリマヤテングノスマングソワカ 「香取社信心とおり太鼓」 ジンゾーケー ジンバラキリクーソー |
| おはやしは、笛の音に先導され、大太鼓(大胴おおどう)、締太鼓(付太鼓つけだいこ) 大鼓(大皮おおかわ)子皮(こかわ)囃子鉦(すりがね)で演奏され、笛は四〜五人 大胴二人、付太鼓二〜三人、大皮十二人、小皮十二人程度で構成される。 曲は、「寄せ太鼓」に始まる。またどの曲でも、はじめと結びに演奏する「ぶっきり」 がある。 神輿渡御の際、演奏される「とうりしゃぎり」は、はやしの中心であり、その曲想は 筑波の峰を背景に、雄大な関東平野を流れる大河と、四季折々の情景を表現した起伏 とんだものである。 また、「うつりばやし」は「ひとつとせ」・「からす」等数曲を組み合わせたおはやしで調子 よく移りかわる曲に、体も踊りだす程である。その他、「おおばやし」・「おかさき」等の 十数曲が伝承されている。 |
| ここに写真がある。昭和二十六年柳橋龍蔵院境内で行われた「豊年柳橋囃子大会」の 舞台での模様と、大会前の柳橋の面々の集合写真(舞台左側には大会で送られる賞品 が沢山並んでいる)である。 |
| こうした「囃子大会」は近郷の囃子会を招待したり、また、各地の大会へ参加したりと 盛んに行われていた。さらに、昭和四十年代頃には、総和町各地の囃子の技を競う 町の大会が行われていた。昭和五十年代に入ると、後継者育成にと二十代の青年達 を集い、伝承活動に力を入れるようになり、愛宕社拝殿にて熱心な指導を行い、その 成果は日本青年団協議会主催の全国郷土芸能大会へ県代表として出場披露という実 を結んだ。以降、各種イベント、福祉施設、学校等での披露や、次の世代への伝承活動 として小中学生への指導等広範囲で活動を続け、昭和五十四年十二月には地域社会 貢献団体として茨城県より「ばら賞」を受賞した。 その後も、八坂神社祭礼はもちろんのこと、平成三年から始まった総和の秋祭り平成 十一年からは「関東ドマンナカ祭りと改称」では中心的活動を行い、広く町内に披露し続 けている。 |
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| こうした民俗芸能において、一番心配されるのは後継者の不足といわれるが当会でも 一時的な停滞はあったものの、会員達の民俗芸能伝統芸能伝承への思いは熱く、小 中学生を中心に「柳橋おはやし少年団」を結成し活動を広げるとともに女性会員の参加 も増え、あわせて地域を挙げての支援(郷土芸能基金創設)に支えられ、現在では保存 会会員も百十名に達する程であり活気に満ちている。 中でも、子供達や女性会員が「笛」を奏でるようになり、今後の伝承活動は明るい。 古来より、先人達の信仰とくらしの中で伝えられてきたこの「囃子」を守り伝えることは 「技」の伝承に止まらず、世代を超えた心の交流として存在し続けるであろう。 ふるさとの伝承として。 |
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